旭川ロータリークラブ

旭川ロータリークラブ 90年の歩み

昭和9年 創設

 旭川ロータリークラブは、昭和9(1934)年10月26日に誕生しました。全国で20番目、北海道では札幌、小樽に次ぐ3番目のクラブです。



昭和9年の旭川ロータリークラブ発会式


初代会長は「北の誉」を創設した酒造家の岡田重次郎さん
(当時の旭川商工会議所会頭です)


 クラブ結成のときの創立会員、チャーターメンバーは会長以下30名。入会金は20円、会費は年額60円でした。昭和10年ころの旭川市の人口はおよそ8万人でした。
 旭川クラブの結成に際して助力し、結成後も速やかに成長するよう指導する責任を引き受けるクラブ、スポンサークラブは小樽クラブでした。



昭和9年のクラブ発足を祝うチャーターナイトの「遂行心得」



昭和11年のクラブ会報



昭和25年 正式に再出発

 その後、国際情勢の緊迫を受けて昭和15(1940)年にクラブは「栄光ある解散」を断行。 戦後、かつての例会の日程にちなんで「旭川金曜会」の名前でメンバーが集まりました。 その後「旭川金曜クラブ」と改称し再結成を目指します。
 昭和25(1950)年、国際ロータリー復帰が認証され、旭川ロータリークラブとして再出発。 このときの会長は製材所を経営する小泉恒吉さんで、メンバーは会員以下33名でした。


昭和30年のクラブ会報




時代とともに会員数が拡大

 会員数は創立20年を迎えた昭和29(1954)年に44名に増加しました。 昭和37(1962)年9月には第350地区の年次総会を旭川市で開催。 多くの来賓、また地区内外およそ750名の会員が参加しました。

 さらに創立30年の昭和39(1964)年には会員数は70名に達します。 この年、旭川ロータリークラブ奨学会(のちの財団法人旭川ロータリー育英財団)が設立されました。 また昭和54(1979)年には旭川平和通買物公園に時計塔を寄贈。
 昭和59(1984)年の旭川市の人口はおよそ36万人。 創立50年を迎えたクラブの会員数は112名に達しました。 平成に入り、創立60年の平成6(1994)年には会員数は117名でした。 以後、旭川市の人口にあわせるかのようにクラブの会員数も減少傾向にあり、創立80年の平成26(2014)年には75名となっています。


昭和37年の旭川市での年次総会に出席された国際ロータリー会長代理のクロード・ウッドワード夫妻



道内のクラブのスポンサークラブに

旭川ロータリークラブがスポンサーとなって下記のクラブ(カッコ内は創設年)が新設されています。

  • 北見ロータリークラブ(昭和12年)
  • 旭川西ロータリークラブ(昭和32年)
  • 稚内ロータリークラブ(昭和32年)
  • 滝川ロータリークラブ(昭和33年)
  • 深川ロータリークラブ(昭和34年)
  • 富良野ロータリークラブ(昭和36年)
  • 旭川東ロータリークラブ(昭和47年)


あさひ「が」わ、の理由

 旭川ロータリークラブの名称は、あさひ「が」わ。濁っています。
 もともと旭川の読み方は明治の開基以来、「か」と「が」が混在していました。 国鉄の駅名や郵便局のスタンプは「が」と濁っていたそうです。 (駅名は昭和63年に「か」に変更) クラブが設立された昭和9(1934)年、国際ロータリーに承認されたときの書類や旗はすべて、あさひ「が」わ、でした。
 ただ長い歴史の中で清音になっていた時期もあります。 しかし創立時の正式名称に戻すべきという議論があり、旭川ロータリークラブはいまも濁音「あさひがわ」です。


昭和25年の国際ロータリーからのチャーター贈呈式
(旗に、あさひ「が」わ、と書かれています)

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